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福島市民に愛されて100年「福島交通飯坂線」の歴史

市民に親しまれるローカル鉄道、福島駅と飯坂温泉駅を結ぶ「いい電」

奥州三名湯のひとつ飯坂温泉とJR福島駅を結んでいる「福島交通飯坂線」(以下、飯坂線)。JR福島駅から終点の飯坂温泉駅まで12の駅があり、所要時間は23分、路線総延長9.2kmの短い鉄道です。

福島市のシンボル信夫山の麓を抜け、福島盆地を北西に走る飯坂線。飯坂温泉が近くなるとリンゴやモモの果樹畑が次々と現れ、春には美しい花々、夏と秋にはたわわに実った果実を車窓から望めます。

毎日の通勤や通学で多くの市民から利用され、生活に欠かすことのできないローカル鉄道・飯坂線。市民からは「いい電」の略称で親しまれています。

桃畑の脇を走る飯坂電車(2014年撮影)

そんな飯坂線は今年2024年、開業100周年を迎えました。
市民生活や観光の重要路線として大正、昭和、平成、そして令和へと時代が変わっても愛され続けています。

今回は、飯坂線の歴史をひもとくのに重要な「信達軌道 ※」の歴史とともに「福島交通飯坂線」の歩みをご紹介します。

信達軌道:現在の福島交通株式会社の前身。かつて福島市、伊達町、保原町、梁川町(現在の伊達市)を走っていた路面電車を運行していました。

福島駅と飯坂温泉を結ぶ2つの路線計画

飯坂温泉共同浴場 鯖湖湯 外観

明治時代の共同浴場を再現した「鯖湖湯」(飯坂温泉)

1887(明治20)年12月、日本鉄道(現在のJR東北本線)が開通し福島駅が開業すると、多くの有力者により福島駅と飯坂温泉を結ぶ鉄道が計画されました。由緒ある飯坂温泉への客輸送を当て込んでの計画でしたが、資金不足などにより実現には至りませんでした。

そのような中、1906(明治39)年の暮れに、実業家として知られる雨宮敬次郎らと、地元である信夫・伊達両郡の有志が福島公会堂に集まり、信達軽便軌道(信夫郡と伊達郡を結ぶことから「信達」と名付けられた)敷設にかかる会合が持たれました。
この会合で話題になった予定路線は6つ。これらの路線すべてが完成された暁には、福島盆地全体に大軽便鉄道網が完成する壮大な計画でした。

その中には福島駅と飯坂温泉駅を ①福島・瀬上・長岡(現 伊達市)・湯野・飯坂線、②福島・清水・飯坂線の2路線で結ぶ計画が含まれており、のちにいずれも実現の道を歩むことから、地域住民の期待がいかに高かったかを伺い知ることができます。
翌年の1907(明治40)年7月6日、雨宮敬次郎ほか29名による信達軌道株式会社に特許状が下付され、8月1日付で会社が設立されました。

福島駅と飯坂温泉間に初めて鉄道が開通

信達軌道株式会社が設立され、福島の鉄道で最初に運行された路線は、福島駅前から東北本線の東側を北進し、長岡村(現 伊達市)で西に方向を変えて飯坂温泉(終点は湯野)に至る軽便鉄道 ※ でした。

信達軌道敷設の中でこの路線が最初に開業した理由は、1908(明治41)年に奥州六県連合会の共進会 ※ が福島市で開催されることが決定したためです。突貫工事により軌道敷設が進められ、共進会開催ギリギリの4月14日に開業にこぎつけることができました。

その後、信達軌道株式会社は会社合併や分離、事業の継承により、梁川や掛田といった阿武隈川の東側地域にも鉄道網を広げていくことになります。

軽便鉄道:一般的な鉄道よりも敷設が簡単で、線路の幅が狭く、機関車・車両も小規模な鉄道。
奥州六県連合会の共進会:東北六県が持ち回りで行った特産品の品評会で、1908(明治41)年に6回目が福島市で開催されました。東北各県の絹織物、染物、農産物、水産物、酒類、陶磁器など幅広く出品されました。

福島交通飯坂線の敷設と電化への流れ

1918(大正7)年になると、福島・清水・飯坂を結ぶ 「飯坂軌道」が計画されます。その後1911(大正9)年10月に「福島飯坂電気軌道株式会社」とし、福島交通飯坂線の開業へ向けての準備が進められていきました。

開業にあたって、福島市からの“蒸気動力には反対”の申し入れを受けて電気動力へ変更する計画が進められていましたが、この計画に拍車をかける事件が起こります。
1922(大正11)年5月19日、信達軌道を走る軽便の飛火が鎌田村本内の蚕種製造業者の蚕室に降りかかり、46戸131棟が焼失する大火災「本内大火」が発生したのです。怒った住民が軌道に座り込み、18日間運転休止に追い込まれました。この火災がきっかけとなり、電化への変更が一気に加速しました。

電気動力で開通計画を進めていた福島飯坂電気軌道は、 1924(大正13)年4月13日に福島~飯坂町花水坂間の路線を開通します。
同年10月23日には「飯坂電車株式会社」と再改名しました。その理由は名称の簡明化と、飯坂温泉の紹介を兼ねるのが営業上の利益を増進するからと記録されています。

これが現在の福島交通飯坂線の誕生となります。

開通時は10駅でしたが、1927(昭和2)年3月23日に 現在の飯坂温泉駅まで延長されました。当時は国鉄福島駅前から現在の美術館図書館前駅までが道路上に敷設された併用軌道で、現在のやや東側のルートを通っていました。

福島電気鉄道株式会社との合併による会社発展

飯坂温泉を目指し、福島駅前から北西にほぼ直線で走る「飯坂電車株式会社(現 福島交通飯坂線)」と、市街地を通って東に延び長岡~飯坂間を走る「福島電気鉄道株式会社(大正14年に信達軌道鉄道から改称)」の2つは 、飯坂温泉の誘客で一時競い合ったこともありましたが、1927(昭和2)年10月1日、両社が合併し「福島電気鉄道株式会社」となりました。

これにより、それまで飯坂電社株式会社が運営していた路線を「飯坂西線」、福島電気鉄道株式会社が運営していた路線を「飯坂東線」と呼ぶようになりました。
この合併により東北一の車両・軌道・設備を有するまでになり、東北の私鉄の模範とまで称されるようになったのです。

さらに電車部門の強化と国鉄との接続の円滑化を図るため、1942(昭和17)年12月3日に飯坂西線の福島駅構内乗り入れが実現して、現在の路線となりました。この年の輸送人員は493万人に上りました。

戦局の悪化と終戦、そして戦後の高度経済成長

戦火がますます拡大した1943(昭和18)年8月12日、旅客自動車運輸事業統合の国策により、県第1区(福島地方)における同事業はすべて「福島電気鉄道株式会社」に統合されました。

国内の鉄道・バス事業はこの時代、国策に沿って国有化や合併統合が相次ぎました。
戦時輸送体制が強力に推し進められ、1944(昭和19)年3月15日には、ますます激化する戦局により、電力規制のため終電の繰り上げや一部停留所の停車廃止が行われ、飯坂西線では清水役場前(現 岩代清水)や花水坂などが廃止されました。
翌年8月15日の終戦時にかけては 戦火が国内にも及び、鉄道は各地で寸断されましたが、福島電気鉄道は幸いにもその被害に遭わずにすみました。

忌まわしい戦争が終わり、日本が目覚ましい発展をとげていた1962(昭和37)年7月、福島電気鉄道株式会社はバス事業強化のため「福島交通株式会社」へと改称しました。

高度成長期に入ると自動車の普及が進み、飯坂東線の路面電車の併用軌道が交通障害を起こすようになっていきました。一部の区間が廃止され、代わりにバスが運行されるようになったことがきっかけとなり、路面電車は1971(昭和46)年4月12日、全面廃止となりました。

長年にわたって信達の地を走り続け「チンチン電車」として親しまれてきた路面電車は、惜しまれつつ姿を消したのです。

その後は飯坂西線が残り、輸送力の強化が進められていきました。沿線の駅周辺には新たな住宅地等が整備され、現在の景観が築かれていきました。

2023年に現役当時の姿に復旧した「掛田駅」(伊達市)

掛田駅舎の脇には復元された路面電車も展示されている

度重なる災害から復旧、市民の生活を守る「いい電」

入線する飯坂電車(2014年撮影)

飯坂線は、幾度か大きな災害に遭いながらも力強く復旧しています。

1989(平成元)年8月に大きな被害をもたらした台風13号では、泉駅と上松川駅間にかかる橋梁橋脚が流され、不通となる事態が発生しました。通勤や通学で利用している多くの市民が、松川にかかる車道の橋を渡り、川向こうにある車両まで歩くという状況が続きます。
半年にもわたる不通を経て、利用者の安全を守り自然災害にも負けない頑丈な橋が松川にかけられ、完全復旧を遂げました。

それから23年後の、2011(平成23)年3月11日に東日本大震災が発生。路線や電線に大きな被害が生じましたが、不眠不休の復旧作業が行われ、 被災三県の鉄道の中では最も早く運転を再開
この運転再開は一つの希望の光となり、ガソリン不足によるマイカーからの切り替えや、食料の買い出しなど多くの市民の足となり、混乱時の生活を支えました。

震災後には、貸切電車の運行や、車両を利用した結婚式や車両基地見学ツアー、ワイントレインなどが行われ、より身近で親しみやすい鉄道「いい電」へ変化しています。

赤字路線が多いとされる地方路線の中で黒字を計上し続けていた飯坂鉄道も、2020(令和2)年の新型コロナウィルス流行で赤字に転落。年平均240万人だった乗客数は、2021(令和3)年に3割減の167万人まで落ち込みます。
しかし地道に運行を続け、2023(令和5)年には197万人にまで回復したのです。

2024年は飯坂線開業100周年

レトロデザイン列車

2024(令和6)年4月に飯坂線開業100周年記念企画として、昭和から平成を走り抜けた、赤とクリーム色の車両を再現した「レトロデザイン列車」の運行と、福島駅・飯坂温泉駅の電車到着メロディ、および案内放送の運用が開始されました。

福島駅、飯坂温泉駅の電車到着メロディに、島倉千代子さんが歌ったことでも馴染み深い、西條八十作詞の新民謡(現在のご当地ソング)「飯坂小唄」を採用、到着案内には「女子鉄アナウンサー」として活躍する久野知美さんのアナウンスが流れます。
また、インバウンド客の増加を見据え、英語アナウンスはNHK WORLD-JAPAN でお馴染みの Maria Theresa Gow(マリア・テレサ・ガウ)さんが担当しました。

これからも福島市民の足として、観光重要路線として、福島交通飯坂線は元気に走り続けます。

福島交通 飯坂電車

路面電車ミュージアム(福島交通掛田駅特設サイト)

【この記事は2014年12月1日に発行された「ふくる通信03号」に加筆修正しました】

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