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【特集:ふくしまを盛り上げる人たち】Vol.7 中野屋菓子舗 早坂知弥さん
「心に残る商品を作りたい!」老舗菓子店の若き4代目の挑戦
創業から100年以上の歴史を誇る福島市置賜町の「中野屋菓子舗」。
店の看板商品である「ちょっと塩味 豆大福」は創業当初から変わらぬ配合・作り方で代々受け継がれ、長く地域の人たちに愛され続けています。
「中野屋菓子舗」の4代目、早坂知弥さんは東京での約7年間の修行を経て福島に戻り、現在は副代表として、父の吉弘さんと共に伝統の味を守りながら新商品の開発にも力を入れています。
老舗菓子店の4代目として店を守り続けることを決めた知弥さんの福島への思いや、地域を盛り上げるための取り組み、今後のことなどについてお話を伺いました。
離れてみて気づいた福島の魅力
――福島にはいつ戻られたのですか?
2022年の夏ごろですね。「中野屋菓子舗」が2023年7月に100周年を迎えるという時期だったので、準備期間を考えて、その1年前に福島に戻ることを決めました。
――東京の有名店に勤務されていましたが、福島に戻ることに迷いはありませんでしたか?
就職したばかりのころは、気持ちが盛り上がって「いつか自分のお店を東京で出すぞ!」と思った時期もありました。でも経験を積んでいく中で、変わってきて……。
東京のお店では、全国から厳選された高級なフルーツを扱う機会がたくさんありました。でも、自分が子どものころから食べていた福島のフルーツの方が美味しいと感じたんです。
それからいろいろと調べていくと、福島には面白いフルーツや美味しいフルーツがたくさんあることを知って、それらを使ってお菓子を作りたいなという思いが出てきました。
――「実家のお店を継ぎたい」という気持ちはずっと持っていたのですか?
僕は一人っ子ですが、両親はずっと「継がなくてもいいよ」というスタンスでした。やっぱり厳しい世界なので、苦労してほしくないと思っていたのかもしれません。
正直、高校を卒業してもやりたいことがなくて、なんとなく製菓の専門学校に進みました。周りはしっかり目標を持っている人が多かった中で、僕は曖昧な気持ちだった気がします。
でもやっていくうちに、お菓子を作ることが誰よりも好きになってしまったんですね。それで少しずつお店を継ぎたいという気持ちが出てきたという感じです。
特にチョコレートに出合ってからは、その思いが強くなりましたね。
チョコレートとの出合いが人生を変える
――チョコレートのどんな部分に魅力を感じたのですか?
東京で最後に勤務していたのが「ビーントゥバーチョコレート」を扱うショコラトリーでした。
そこではソムリエのようなことをしていて、チョコレートの味を0~10に数値化していくんです。「酸味」「渋み」「甘み」などをさらに細分化して、味を区別することができるようになりました。味覚や嗅覚などが鍛えられましたね。
チョコレートの繊細な部分を学んだことが今に繋がっています。
特に「ビーントゥバーチョコレート」との出合いは衝撃でした。フルーツを食べているような、ワインを飲んでいるような感じで、僕は初めてこのチョコレートを食べたときに本当に感動したんです。
ワインと一緒で、カカオ豆を収穫した年や国、農家さんによって味わいや香りが変わるんです。本当に面白いですよ。このチョコレートの魅力に心を奪われましたね。
――チョコレートや、お菓子を作ることが本当にお好きなんだなという印象を受けますが、やめたいと思ったことはありますか?
何度もあります!! 本当に何度もあります。
チョコレートと出合っていなかったら、やめていたかもしれません。
やっぱり厳しい世界ですし、僕は出来が悪かったんで本当によく怒られていました。でもその分、見返してやると思ったりもして……。
「いつか実家に戻って、自分の作りたいお菓子を皆さんに届けたい」という気持ちが根本にあって、頑張ることができたのかなと思います。
地域のためにできること
――福島に戻ってからは地域貢献の活動に積極的に参加されていますね。「いきいき!ふくしラボ」について聞かせてください。
「いきいき!ふくしラボ」
市内の若手パティシエが就労支援事業所の商品開発を行うもので、クオリティの高い商品を開発し、売れる商品を作ることで障がいのある方の工賃向上を目指します。レシピには市内の農産物を使用。
知弥さんは株式会社ラポール泉「アットホーム」の商品開発に協力しています。大友農園のお米をライスパフに加工して使用、「Fukushima chokome rocher(ふくしまちょこめろっしぇ)」が完成しました。
何度も打ち合わせをしましたね。今回は僕がレシピを考え、技術指導を経て商品が出来上がったわけですが、レシピだけ教えて「終わり」では問題の解決にはならないと思うんですよね。
今回のレシピの一番のポイントは、チョコレートやナッツの種類を変えることで、簡単にラインナップを増やせるものになっていることです。「アットホーム」さんが、自分たちのアイディア次第で今後も新しい商品を生み出していけると思うので、ぜひシリーズ化して売れる商品にしていってほしいと願っています。
――信夫山の「ゆず復活プロジェクト」にも参加されていましたね
信夫山の「ゆず復活プロジェクト」
福島市信夫山の柚子はかつて栽培が盛んで、地元では冬の風物詩として親しまれていました。しかし2011年の原発事故により出荷が制限され、生産者がわずか2軒に減少。2022年に出荷制限がようやく解除され、地元の高校生や菓子店が柚子を復活させるプロジェクトを立ち上げ、柚子を使ったスイーツ開発などに取り組んでいます。
信夫山の柚子は、香りが段違いに良く、僕自身も使っていて面白いんです。
中学生のとき、野球部の練習でよく信夫山のあたりを走っていました。あって当たり前だったものが原発事故で売れなくなってしまったのは、僕にとっても悲しい出来事でしたし、何より農家さんが一番悔しい思いをしたと思います。
今回、信夫山の柚子をチョコレートにして皆さんに知っていただく機会をもらったことは、本当にありがたいなと思っていますし、今後も続けていきたい活動です。
「心に残る商品を作りたい」という思い
――大切にしていることは何ですか?
僕の中の一番のコンセプトは「心に残る商品をつくる」ということです。それはずっと変わっていません。心を込めて良いものをつくれば、お客さまの心に残るものができると信じています。
――今後どんなことをしていきたいですか?
やはり福島の美味しいフルーツを使ってスイーツを極めていきたいです。生産者さんの名前もどんどん出して、農家さんと一緒に、福島の美味しいものを全国の皆さんに伝えていきたいですね。
それから「ビーントゥバーチョコレート」を福島でも広めていきたいです。このチョコレートの美味しさ、驚きを知った以上、皆さんに伝えていかなければいけないなと思っています。
そしてやっぱり大切にしているのは、豆大福を守っていくということです。
豆大福があるから、この店があり、僕のチョコレートやケーキを知ってもらうことができていると思っています。伝統を守りながら、新しいことをいろいろやっていきたいです。
取材を終えて
今回のお話の中で「やっていくうちに、お菓子をつくることが誰よりも好きになってしまった」という言葉が印象に残りました。つくることが好きで、やりたいことがたくさんあるという知弥さんが、今後どんなお菓子をつくり出していくのか本当に楽しみです。
そして、取材中に私も「ビーントゥバーチョコレート」を試食させていただきました。
知弥さんが「カカオはフルーツ」とおっしゃっていましたが、それを体感。フルーティーで、酸味があり、香り豊か。ワインに似たような味わいにも驚かされました。
豆の種類により、味や香りがガラッと変わるそうなので、美味しさは無限ですね。このチョコレートが多くの皆さんに届くことを期待します。
「中野屋菓子舗」副代表 早坂知弥さん プロフィール
福島市出身。東京の製菓専門学校卒業後、都内の有名カフェに就職し、アシェットデセールを担当。その後も都内のパティスリーやショコラトリーなどで研鑽を積み、2022年に実家である「中野屋菓子舗」へ戻る。
生産者との繋がりを活かした素材選びや、チョコレートに特化した菓子作りに力を入れている。